本サイトではPR広告が含まれています

【令和の考案者】高志の国文学館 館長「中西 進」氏か

新元号を考案したとされる

国際日本文化研究センター名誉教授
中西 進さん(89)

中西さんは、

「日本文化の伝統というものを 今日にどのようにしたら 古めかしいものではないと思われるのか これが非常に私がやりたいこと」

と平成25年の時に話されています。

万葉集研究の第一人者とされる中西さん
現在は、富山市にある「高志の国文学館」の館長も務めています。

2017年、天皇皇后両陛下が富山市を訪問された時に案内役も務めました。

研究の傍ら、万葉集を子供達に講義する万葉未来塾を開くなど個展の普及につとめています。

こうした功績が評価され、平成25年には文化勲章を受章しました。

中西さんは

何をすることによって 文化勲章が正当に
私に与えられたのかが決まると考えた
生涯を総括するような仕事をしていきたい

当時、この様に話していました。

「令和」の典拠となった万葉集
奈良時代にまとめられました。

今回引用された序文には、当時太宰府長官だった、大伴旅人の邸宅での宴会で32人の役人が庭の梅にまつわる歌を詠んだという状況がつづられています。

この序文について中西さんは、

昭和59年の著書の中で、次のように残しています。

時あたかも新春の好き月

空気は美しく風やわらかに

梅は美人の鏡の前に装う
 白粉のごとく白く咲き

蘭は身を飾った香の如き
 かおりをただよわせている

(中西 進著「万葉集 全訳注」より)

NHKは、新元号の決定を前に中西さんに取材を行い、

新元号の発表後、中西さんにインタビューをする予定になっていたそうです。

しかし、先月末(3月末)になって

中西さんから、「どうしても取材を受けられなくなりました。理由は詳しく伝えることが出来ません。断ることになってしまい胸が痛いです。」と話しています。

そして2019年4月2日、自宅に戻った際に「元号の考案者として名前が挙がっていますが」という問いに

中西氏「お話しすることはありません」

とこたえています。

また「万葉集」が出典となったことについて

中西氏「いいと思います いい時代になれば良いですね」

と話しています。

また、中西さんの著書を扱っている出版社が本人にメッセージを依頼したところ、

次のような回答が送られてきたそうです。

“「万葉集」は令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です”

 

以上になりますが、「令和」の考案者は、中西 進さんの可能性が高いとされています。